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日光にゆかりのある人物【勝道上人編】

2023年08月25日

日光には、歴史的にゆかりのある人物が数多く存在し、意外と知られていないエピソードがたくさんあります。
エピソードを思いつつ日光を旅すれば、より一層豊かな思い出になるのではないでしょうか。

今回は、日光にゆかりのある人物の中から「勝道上人(しょうどうしょうにん)」についてご紹介します。

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「勝道上人」は、日本における山岳仏教の先駆けであり、日光開山の祖。
日光1,200年の信仰と文化の原点を築いた名僧として尊ばれています。

【僧になるまでの道のり】
天平7年(735年)に芳賀郡南高岡(現在の真岡市)の下野国府の役人の家に生まれました。
幼い頃から神童と呼ばれ、幼名は藤糸丸(ふじいとまる)と言います。

藤糸丸が7歳のとある夜、明星天子が夢に現れ「仏の道を学び、日光山を開け」と告げられました。
その後、栃木市北西の出流山(いずるさん)などで仏の道を修行し、下野薬師寺に戒壇が設けられると
鑑真和上(がんじんわじょう)の弟子に仏教の教えを受け、僧の資格を得て勝道と号しました。


【日光開山へ】
天平神護2年(766年)勝道上人32歳の時、10人の弟子と大谷川にたどり着き、
対岸へ行こうとしましたが、谷深い急流の川を渡る事ができませんでした。

この時に神様や仏様を拝み「私は大谷川を渡り、向こう岸に神様や仏様をお祀りするつもりです。願いを聞き届け、この川を渡らせてください。」と祈ると
夜叉のような姿をした恐ろしい風貌の神様「深沙大王(じんじゃだいおう)」が現れ、手に持っていた赤と青の二匹の蛇を川の上へ放ちました。
すると、蛇が絡み合って両岸を結び、蛇の背に山菅(細長い草)を生やして一行を渡らせたと言い伝えられています。

以来この橋は山菅の蛇橋と呼ばれ、幾度も架け替えられて現在のような立派な「神橋」となりました。
そして、無事に対岸へたどり着いた一行は、四本竜寺と本宮神社を建立。1200年以上になる日光山の歴史のはじまりです。

日光山中(現在の世界遺産日光の社寺エリア)で16年余の修行を経て、天応2年(782年)勝道上人48歳の頃、三度目の二荒山(男体山)登頂を目指します。
苦難のすえ二荒山(男体山)山頂を極め日光開山を成し遂げ、その地に二荒山大神を拝し祠「奥宮(おくみや)」を祀りました。
その後、弟子たちと中禅寺湖を舟で巡り、中禅寺を建立。此処に4年間滞在したと伝えられています。

弘仁7年(816年)勝道上人82歳の時に、再び二荒山(男体山)山頂を訪れ、三社権現(さんしゃごんげん)の社を建立。
過去から今へと繋がる日光の基礎をつくった勝道上人は、三社権現建立の翌年、弘仁8年(817年)に山岳宗教に捧げた一生を閉じられました。

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